技術評論社の安藤聡氏より有り難くも御献本頂いた二冊を読了。
まず、岩田 健太郎 先生の『ためらいの医療倫理』。
「自分の正しさを雄弁に主張できる知性よりも,自分の愚かさを吟味できる知性のほうが,私は好きだ。」という内田樹先生の言葉を医療業界に転用し、医療倫理を根底から再考してみたというのが本書のスタンス。岩田先生は、医療倫理における「命題の立て直しの必要性」を感じ、「各人の命は等価か?」「ヘルシンキ宣言は常に正当視されるべきか?」「スポーツは健康に良いのか?」等のはっとするような疑問を投げかけてくる。さらに、「プロフェッショナリズムの本質としての、自己規定性」「複眼的な視点の重要性」「ファンダメンタリズム(原理主義)の危険性」等に関する主張を豊富な事例を交えて語っており、知的刺激てんこ盛りの岩田節は健在で、一緒に働かせて頂いた頃のことが懐かしく思い出される。
日頃より、「総論と各論」、「定性と定量」、「WhatとHow」を混同した議論が多いことに対して強い問題意識を持っている私にとって、これらを鮮やかなまでに明確に区別し、明解に語ってくれる本書は、孫の手にしては高性能過ぎるほど、痒い所に手が届く、気持ちのいい本であるとも言える。
続いて、藤井 聡 先生の『プラグマティズムの作法』。
「プラグマティズムの作法」とは何か?「一つに、何事に取り組みにしても、その取り組みには一体どういう目的があるのかをいつも見失わないようにする。二つに、その目的が、お天道様に対して恥ずかしくないものなのかどうかを、常に問い続けるようにする。(P134)」と、骨太なバックグラウンドで力強く語る。藤井先生は、オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の概念を引用し、ある事象の本質、本来的目的を見いだすことの重要性を説く。特に、学術論文を巡る種々の言語ゲームのくだりは目からうろこで、今後の学術論文との付き合い方を考える上で大変参考になった。
「名誉ある人生のためにも、そして、豊かな日本と世界の未来を期するためにも、-(中略)-あらゆる学に関わる学者は皆、自らのプラグマティズムの作法が如何なる水準にあるのか、そして、それが足らぬ場合にはきちんと作法を守るためには、いかに振る舞うべきかを努力を日々探求し続けることが、何よりももとめられているのです。(p199)」パンチの効いたこの言葉は、大学病院に勤務するアカデミアの端くれである私にも痛いくらい身に染みた。
二書を読了後、両者に複数の共通点があることに気付いた。というよりは、そうまるで、あんぱんと牛乳の様な相性の良さを感じた。安藤氏の粋な計らいのなせる技であることは間違いない。せっかくの機会なので、医療倫理におけるプラグマティズム、医療従事者における三方良しについて考えてみた。「三方良し」とは「売り手良し、買い手良し、世間良し」という商売人としてのあるべき姿を表した言葉であるが(『プラグマティズムの作法』p209)、今回は、売り手を医療従事者、買い手を患者と置換してみた。
・患者 : やはり、医療において最優先されるべき対象
・医療従事者 : 医療が健全に持続可能であるために、医療従事者の生活保障と自己肯定感 の維持が必要
・世間 : 社会、医療業界、医療政策、ヘルスケア、病院、学会等、複眼的に考えることが出来る。焦点の絞り方が、医療従事者のスタンスの多様性につながる
このように考えると、上記の「三方良し」のバランスの取り方と、世間のどこに焦点を絞るか、またどの程度絞るかで、自ずと医療従事者としての立ち位置が決まってくるように思う。多くの場合無意識に「三方良し」のバランスをとっているが故に、プラグマティズムは不足しがちである。また焦点を絞りすぎればフェンダメンタリズムにつながる危険性を孕むかもしれない。「三方良し」を意識し、主体的にバランスをとり、焦点を絞り、かつ絞りすぎないことで、各々がより自分らしく、プラグマティックに医療に取り組めるのかもしれない。
最後に、この様な良書二冊との出会いと、考えるきっかけを頂いた安藤氏に感謝を申し上げる。
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